花魁だけじゃない? 江戸時代の風俗事情
日本の性産業のルーツは江戸時代にあり!?
日本の風俗産業は江戸時代に隆盛を迎え、現在の産業基盤を作ったと言っても過言ではありません。
もちろん風俗に近いものは戦国時代以前にもないわけではありませんでした。
豊臣秀吉が京都に遊郭を築いていたいう説もありますが、当時主流だったセックス産業は「立ちんぼ」と、戦の際に敵地で行う「人さらい」でした。
織田信長、武田信玄、上杉謙信など紳士の皆様がご存知の有名武将であっても、自らの部下(足軽や雑兵)に、ひとさらいによる強姦を認めていたのです。
江戸幕府が開かれると
- 治安が安定したので、庶民の間でも「性欲を発散させたい」という余暇への欲求が高まった
- 田舎では男女比1:1だった人口構成が、江戸だと4:1といういびつな人口構成
(大名が大勢の女性を側室にしていたという理由や、参勤交代などで多くの男性武士が一気に江戸に足をのばす仕組みができていたことなどが理由に挙げられます) - 元々日本人は性に対して比較的寛容であったこと
- 幕府も風俗を公認し、風俗産業(特に吉原)から税をとる仕組みを採用したこと
- 個々の産業と、貨幣経済が発展したことによる貧富の差の拡大
の要素が相互に作用して、幅広い風俗形態が誕生したのです。
「江戸時代といえば遊郭の花魁」という印象をお持ちの紳士の皆様も多くいらっしゃるかと思われますが、江戸時代の風俗は必ずしも吉原(遊郭)だけではありません。
本コラムではそんな江戸時代の風俗を紳士の皆様がご存知の物からそうでないものまでVIPデリヘル運営部が詳しくご紹介いたします。
花魁から夜鷹まで、レパートリー豊富な江戸の風俗
江戸時代の一般庶民は、地域にもよりますが、現在の円に換算すると年収400~600万円程度の収入を得ていたといわれています。
この文章だけを読むと「意外と裕福なのではないか」と思われるかもしれませんが、江戸幕府の税金は相対的に現在よりもかなり高額でしたから、生活基準は富裕層と一般庶民で大きな格差がありました。
ですから吉原遊郭のような「超VIP向けの風俗」の一方で、現在と比較しても安価な庶民の風俗まで、江戸時代の風俗は幅広く当時の男性需要に対応していたのです。
この項目では高級風俗として有名な遊郭から、紳士の皆様もあまり知らないニッチな風俗まで、江戸時代の風俗業種をご紹介していきたいと思います。
遊郭
幕府公認の風俗店(遊女屋)を集めて、周囲を塀や堀で囲った区画を遊郭といいます。
「政府公認」の女遊びの場で、遊女が男性客に踊りや三味線などの遊芸を見せたうえで、身を売る場所でした。
江戸時代は貧しい親の借金の肩代わりに、遊郭に娘が売られる実質的な人身売買も比較的盛んにおこなわれていました。
お客様や一般庶民も、遊郭で働いている女性の多くが「貧しい親の借金のために売られてきた」ということを知っているので、彼女たちを”親孝行な娘”と評価していたのです。
遊郭の中で最も有名なのが、現在でもソープランドが軒を連ねる吉原でした。
吉原遊郭にはご存知の方も多い”花魁”と呼ばれる女性が在籍する高級店ももちろんありましたが、現在の大衆店のような役割を持った局見世と呼ばれるお店もありました。
局見世を現在の風俗に例えると、ファッションヘルスの一室のようなものです。
局見世は吉原遊郭の中の施設ではありますが、そこで働く女性は高級店では”やっていけない(とはいえども不細工はいない)”レベルの女性が在籍していました。
お遊び代も平均して200~300文(6000~9000円程度)だったため、一般庶民でも遊べる金額です。
しかし同じ局見世でも、金1分(約36000円)程度の金額の高級店もありました。
花魁
吉原=花魁のイメージが強いと仰る紳士の方もいらっしゃるかと思いますが、必ずしも「吉原で働いている=花魁」ではありません。
花魁は、吉原遊郭の遊女の中でも「位が高い人」のことを表します。
「おいらん」という呼び方は、花魁の身の周りの世話をする禿や妹分たちが、彼女たちを「おいらの姐さん」と呼んだことから発生したという説もあります。
「おいらの姉さん」と妹分たちに呼ばしめるだけあって、当時の花魁は現在でいうところのハリウッド女優のようなものでした。ただの風俗嬢ではなく、万人(一般女性も含む)に愛されるスターの役割を担っていたのです。
ですから、
- 花魁自身が気に入った男性客でなければ相手をしない
- 花魁に性的サービスを受けられるのは3回目以降(1回目なんて、隣でたばこをふかして終了)
- 花魁(中でも最高位の太夫の場合)と床を共にするのには600~800万円ほどかかる
(お店の指名料(12~15万円×3回分)+飲食料金+チップ。太夫の下の位の花魁でも200万円程度は必要) - 花魁1人を育成するまでにお金がかかる
舞踊、茶道、和楽器(箏、三味線、胡弓、囃子、一絃琴、琵琶 など)、唄(地唄、長唄、小唄、常盤津など)、 書道、香道、華道、詩歌(俳句など)、古典的遊び(貝合わせ、囲碁、盤双六、投扇興など)の英才教育とともに、高い話術も必要なため - 京都の太夫(こちらは芸がメインの方ですが)は、以前は天皇陛下への謁見を許されていた
のような、現在の風俗嬢とは比較にならないほどの地位を築いていました。
「教養高さと、遊女であっても自分をしっかり持っているという強さ」にあこがれるのか、、近年の成人式でも花魁姿が一部の女性の間で人気のようです。
【参考動画:現在にも残る島原太夫、葵太夫の動画】
岡場所
岡場所は寺社仏閣の近くに多くあった、違法風俗店です。
鎌倉、室町時代あたりに、神社の宮司さんが綺麗な女性を側におきたいから、ご近所の有力者より年頃の娘を募集し、巫女さんに選ばれた女性に贅沢な暮らしをさせたことが発祥だといわれています。
しかし、贅沢な暮らしになれた巫女さんも歳をとると寺社仏閣からは追い出されてしまいます。
そこで、元巫女さんは神社やお寺あたりをうろついて、通りがけの男性に適当な祈祷をしたり、売春行為をしたというのが岡場所のはじまりだそうです。
前述のとおり「元巫女さんが始めた」いうのも岡場所が寺社仏閣に近接している場合が多いという理由の1つですが、寺社仏閣の領内は、町奉行所の管轄外なので摘発できないという理由もありました。
寺社仏閣側も「岡場所が発展することで、男性の参拝客が増える(=参拝にかこつけて風俗を利用する男性がいるので)」ということを理解していたので、自らの領内で岡場所が営まれても黙認していました。
岡場所が最も発展したのは、江戸四宿(品川、千住、板橋、内藤新宿)と深川です。
ほかにも200箇所以上の岡場所で、数千名の”飯盛り女郎”という遊女が働いていたそうです。
岡場所は違法風俗ながらも男性からの支持も厚く、「吉原VS岡場所(特に深川や品川は岡場所の中でも高級だった)」の客取り合戦も多くあったようです。
料金は吉原の高級局見世と同等(約36000円)程度がほとんどでしたが、下級の岡場所は25文(なんと750円!)と、のちに説明する夜鷹といい勝負だったようです。
【参考地図:岡場所が発展した地域】
夜鷹
東京では夜鷹、京都では辻君、大坂(当時はこの字)では惣嫁と呼ばれたこれらの女性たちは、簡単に説明すれば「立ちんぼ」です。
夜になると暗い布をかぶって路地裏の物陰に立ち、「ちょっ、ちょっ」と男性客に声をかける姿が、夜鷹に似ていることから夜鷹と呼ばれているという説もあります。
定価25文(750円……)ですが、江戸時代の風俗ではチップの慣習があったようなので、一般的に100文(それでも3000円……)程度が相場だったようです。
1回3000円程度の稼ぎにしかなりませんから、夜鷹は数をこなす必要性がありました。
下級武士の奉公人や、土方業に従事する「あまりお金持ちではない男性」がお客様でしたから、仮小屋のような場所やゴザを引いた上での野外でのサービスがほとんどだったようです。
夜鷹と呼ばれた女性は、もともとは吉原などで働いていたものの、梅毒などの性病にかかってしまったためにそこで働くことができなくなってしまったという女性も多く、梅毒のために鼻が欠けてしまっているためにろうそくを仮の「鼻」に見立てていた人も多くいたそうです。
顔を黒い布で覆い、薄暗がりの中で営業し、サービスも短時間…彼女たちは女性として顔を見られたくなかったのかもしれません。
その他のセックスワーク
江戸にはそのほかにも多数の「セックスワーク」がありました。
簡単にそのほかの性風俗についてもご紹介させていただきます。
- 船饅頭
饅頭を売るのを表向きに隅田川の船中で売春をした最下等の売春婦。定価32文(1000円くらい)。 - 提重・枝豆売・飯盛女
提げ重箱をさげて餅やまんじゅうを売り歩きながら売春をする女性や、宿屋や茶屋の娘。
素人の売春だったので平均500文から700文(15000~2000円)と相場は高め。 - 湯女
銭湯などであかすりなどを行う女性。売春も行っていた。相場は500~1000文(15000~30000円) - 意和戸・やれ吹けそれ吹け
当時のストリップ劇場。10文足らず(500円程度)。
農村での風俗
吉原をはじめとして、江戸の都市部では多様な業態の風俗(違法なものも含む)が展開されていましたが、江戸ではない地方の農村の風俗事情はどうだったのでしょうか。
どうやら彼らは意外と豊かな性生活を送っていたそうです。
農村で生まれた子供は基本「個人の子」ではなく「村の子」という感覚です。
農村で生まれた子は村人みんなに育てられました。
したがって、性に関しても地方によって「お祭りの日のみ」や「毎日」など違いはありますが夜這いの風習があったのです。
夜這いの風習の際にも特に費用はかからないですし、江戸のようないびつな人口構成ではなかったので、ある意味田舎の方が性に関しては「ルックスがよい女性と手ごろにSEXがしやすい」という点ではだったのかもしれませんね。
以上のように江戸時代には実にさまざまな形態の風俗が存在していました。
合法・違法の違いはあれど、それぞれの風俗業態に、それぞれのニーズに合ったお客様がいたので、江戸時代の男性は自分の身の丈に合った価格帯で性生活を楽しんでいたと考えられます。
江戸時代と現在の風俗の違い
前項目では江戸時代にあった風俗の種類を合法・違法問わずにご紹介してまいりましたが、江戸時代と現在の風俗は以下の2点で大きく異なっています。
1:奥様も承知
現在は、旦那様の風俗通いが原因で夫婦仲に亀裂が入り、離婚騒動にまで発展してしまうというケースも珍しくない日本ですが、江戸時代は奥様が旦那様の風俗通いを黙認するのが一般的でした。
実際に落語の噺で「風俗遊びをする夫に遊ぶためのお金を奥様が渡す」という場面もあります。
江戸時代は完全なる「男尊女卑社会」ですから、もしかすると奥様の心の中には「遊びに行ってほしくない…」という思いもあったのかもしれませんが。
しかしその一方で江戸時代の男性客は、現在の風俗のような「風俗嬢と付き合いたい」と思う男性客は少なかったようです。
江戸後期になると、宵越しの銭を持たない(稼いでもすぐに使う)江戸っ子が見栄を張る場所として「遊郭遊び」が男のたしなみと化していました。
「本気の恋愛をしにいく場所」ではなく、「お気に入りの女性と粋な会話を楽しみつつ、性欲を発散し、極楽を謳歌して大門をくぐり元の日常に帰っていく」という完全割り切りの側面が強かったそうです。
衛生環境はやはり劣悪
現在はコンドームなどの避妊具が普及し、女性の妊娠リスクや性病感染の確率は格段に軽減しましたが、江戸時代にはもちろんそのようなものはなかったので、女性が妊娠してしまったり、男女かかわらず性病(特に梅毒)に感染してしまうことはままあったようです。
避妊や性病感染を防ぐために、江戸時代当時は
- コンニャクを女性器の奥に入れて置き、精子の流入を防ぐ
- 薄くて肌触りの良い”御簾紙”に唾液を付けて丸めたものを女性器の奥に入れておく(生理の時もそう)
- 中出しされたあとにすぐ床を離れて、小さな桶にためたぬるま湯で膣を洗浄する
- ナメシ皮やべっ甲、水牛の角を湯に浸して柔らかくしたものをコンドーム代わりに使う
という方法も試されていたようですが、やはりそれだけでは特に性病は防げません。
ですから江戸時代の遊女の中には性病にかかってしまう人(特に梅毒)が少なくなかったのです。
梅毒についてはこちらの記事でもご紹介しておりますが、病気が進行すると
- 顔が変形して鼻がなくなる(容姿が醜くなる)
- 髪の毛が抜けてしまう
という場合もありました。
梅毒の治療薬として有名なペニシリンは1912年に発見されていますから江戸時代当時では、梅毒にかかったとしても何も対処法がなかったわけです。
容姿に反映されない程度で病気の進行が止まり、梅毒の抗体を持てた遊女は引き続き遊郭や岡場所でお客様をとることもできましたが、3期まで症状が進んでしまった女郎の中には、夜鷹や船饅頭に身を落とした人も多くいたそうです。
一方江戸時代では「性病にかかってこそ大人のしるし」という一見して謎の風潮もあったようです。
男性も「梅毒にかかって一人前」、遊女に関しても「性病でちょっと体調悪そうにしているのがいい!」というような書き方をしている文献が複数冊あるのも事実なのです。
現代人からしてみれば、全く持って不謹慎なお話ですが、当時の人々は裏を返せば「それも含めて醍醐味」とプラスにとらえていた部分もあるのではないでしょうか。
現代の花魁、高級デリヘル嬢
ここまで江戸時代の風俗についてお話をしてまいりましたが、現代においても完全なる「太夫」ではないものの(京都の島原には現在も芸専門の太夫さんがいらっしゃるため)、太夫に近い女性とお遊びすることがかなう風俗があります。それが高級デリヘルです。
高級デリヘルでは、吉原遊郭でかつておこなわれていたような本番行為は厳禁とされているので、その点は花魁と必ずしもイコールではありませんが、高級デリヘルに在籍する女性は
- 大企業勤務、大手ブランド勤務、CA、有名大学の学生
→難関とされる採用試験を潜り抜けるほどの教養、およびコミュニケーションスキルがあると世間的に認められている - モデル・芸能人・RQなど
→服装、所作、メイクなど流行の先端に立ち続け、男性だけにとどまらない「ファン」がいる
という条件に当てはまる女性が多く、吉原遊郭にいた花魁の現代版ともいうべき「知性と教養を兼ね備えた、凛とした女性」と例えることができるのではないでしょうか。
また、育ちが良い女性も多く存在していますので、基本的な気遣いや礼儀正しさ、おしとやかさに関しても文句なしといえるでしょう。
サービス代のみで90分35000円以上(その他の費用についてはこちらの記事でご紹介しておりますのでご参考にしていただけましたら幸いです)と、決して安くはない金額ですが、彼女たちはきっと紳士の皆様の欲望を最大限に満たしてくれるでしょう。
そんな高級デリヘルをお探しの際は、ぜひVIPデリヘルをお遊びの一助としてご利用くださいませ。